道鏡の人物像を通して「自分の頭で考える大切さ」について考える

先日投稿した通り里中満智子先生の奈良飛鳥時代の三部作「天上の虹」「長屋王残照記」「女王の手記」を読んだが、3冊を通して、「何が事実かは自分で考えていかないといけないよなぁ」ということを考えさせられることが何度もあったので、その点について書いておきたい。

「女王の手記」で描かれる道鏡の人物像について

今回三部作を読んで印象的だったのは、女王の手記に登場する道鏡の人物像について。阿倍内親王をたぶらかして、法王まで上り詰めて、宇佐八幡宮神託事件で自分が天皇になろうとした日本三悪人の1人として知られる弓削道鏡。そういう認識の人が多いと思う。ウィキペディアにもそう書かれているし、自分もそういう認識だった。

ただこの本ではむしろ真逆で、道鏡は信心深く素直で一途な人物の様に描かれており、上記の様な史実に疑問を投げかける様なメッセージを感じる。

宇佐八幡宮神託事件の背景について

ここで宇佐八幡宮神託事件における周辺事実をまとめたいと思う。

  • 称徳天皇は自身を傀儡とした藤原氏に対して不満を抱いていた
  • 道鏡を天皇にしたかったのは称徳天皇であった
  • 弓削氏の祖先は物部氏とされていた
  • 信託を出したのは、習宜阿曾麻呂であった(宇佐八幡宮の主神)
  • 称徳天皇は天武天皇系であり、以降は天智天皇系となった
  • 称徳天皇の道鏡への寵愛に対して不満を抱く人物は多かった
  • 皇位の簒奪を試みたののにも関わらず、失脚後は左遷のみ

道鏡は悪僧では無かったのではないかと思う

もちろん道鏡自身が嘘の信託を出させて、称徳天皇を騙しあるいは称徳天皇とグルになって、自分が天皇になろうとしたという考え方も出来なくないが、上記の周辺事実を鑑みると、それではなんか不自然である。

宇佐八幡宮は僧である道鏡がトップに立つとメリットがあったし、天皇家を影で操ることを目的とする藤原氏は、物部氏を先祖に持つ道鏡にトップに立たれると困った。天智系の人々からすると、天武系を貶める良い機会であっただろうし、そもそも天皇家自体にとっては道鏡が奸賊でないと都合が悪い。世の中の人々としても、一介の僧であった道鏡が悪者になった方が面白かっただろう。寵愛された理由が「夜がすごかった」というのもゴシップ性の強い日本人は好みそうだ。

この様に考えていくと自分としては、当時の色々な人のそれぞれの思惑が絡み合って、悪名高い道鏡の今の人物像が作り上げられたのではないか?と考える方がしっくりくるのである。

自分の頭で考えることが大切だよねという話

・・・と憶察を書いてきたが、道鏡が悪僧であったかのかそうでなかったのかは実はあまり本質ではない。事実を確認することは出来ないし、どちらでも良い。それよりもここで大切なのは、自分で想像してみるということである。

世の中フェイクニュースも多いし、事実無根なことが既成事実化することも普通に行われている。教科書に書かれていること、世の中でそうだとされていることをそのまま信じるのではなく、周辺事実を集め、人々の思惑や利害関係を知り、「・・・であれば、これが正しいんじゃないか?」と自分の頭で考えるのが大事だよねと思った次第である!

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